“他人の文章を添削すること”で得られる気づき

どうも、石川です。

まず初めて伝えておきたいのですが、この記事はあくまで「備忘録」です。

主観が入りまくってるように、この”気づき”には個人差があるとも思っています。

そのあたりを承知の上で読んでいただければ嬉しいです。

(むしろ、そうじゃないでしょ!という意見があればいただきたいです)

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いきなり私事ですが、僕はしばらく「文章を書く」ことに悩みを抱えていました。

ライティングの仕事をやっていると、編集さんからの朱入れで躓いてしまうことってありますよね。

戻ってきた原稿と見つめあっては、目をそらし、見つめあっては、目をそらす。

気づけば「あれ?僕が書きたいことってなんだっけ?」と迷走しちゃうんですね。多分、いちライターとして求められる能力のひとつに、その疑問…つまり、”問い”を、編集さんとすり合わせる力が必要なんだと思います。すごく基本的なことですけど。

そんなことが身についてない状態で書き続けていた僕は、迷路のような「赤入れ地獄」をさまよい続けてしまいました。正解が見えなかったから。

そしてその迷路を脱出するきっかけになったのが、表題の「他人の文章を添削すること」でした。

迷ったときのタブーは、内省すること

話はちょっと脱線しますが、ライターやっちゃいけないワーストは、多分「内省すること」じゃないですかね。

「あれ、この表現なにがまずかったのかな?」「どうすれば読者に伝わるかな?」という”問い”を抱えたとき、とにかく自分の力だけで解決しようとするやつです。

結論から言えば、内省したところで何も変わりません。

その”問い”を解決できない状態で、編集さんに「自分はこう思った。だからこう書いた」のような意見をぶつけたところで、焼け石に水。なぜならその原稿は、編集さんに読んでもらうためのものではなく、読者に読んでもらうためのものだから。

あ、ちょっと分かりづらいかも。要するに、内省し続けても、解決できない”問い”を延々と考え続けることになってしまう。そして最後は思考を放棄しかねないんですね。その結果、編集さんに答えを委ねてしまうんです。バッドエンド。

そんなことをしていても、永遠にライターとしての成長はありません。

(はい、それが僕でした)

「誰に、何を、何のために」必要なのか

で、話を戻すと、そんな自分が他人の文章を添削して分かったことがあります。

それは、文章が上手なライターさんは「誰に、何を、何のために」必要な文章なのかを無意識に組み立て、読者が欲しい情報だけを発信できている、ということ。

だからこそ、上手な文章ってのは無駄がなく、心の隙間にスッと入ってくるようなあたたかさがあると思えるんですね。逆に、これらが組み立てられないライターさんの文章は、心に刺さらない、内省的な文章になってしまいます。

たとえるなら、ライター(上司)と原稿(部下)の関係性でしょうか。原稿(部下)の仕事をマネジメントするのがライター(上司)の役目。その効果って、100%ライター(上司)が握ることになるじゃないですか。

そのために、媒体の特性やターゲット層、どんな人に届けたいのかをよく把握して、本当に自分がマネジメントできるか(執筆の可否)を見定める必要があると思います。

他人の文章に触れて分かる、”文章の視点”

 

「抽象的で、イメージのできない表現」「具体的で、イメージしやすい表現」の2つの文章があるとします。

この2つの文章は、”視点”がキモ。読者に向いて入れば、自然と「イメージしやすい表現」となり、自分に向いて入れば、分かりづらい表現となります。

「具体的でもイメージできない表現」も同様に、視点が自分に向いているはず。

要は、本当に関心を持てる分野じゃない限り、文章を書くことってむずかしいんです。この記事で伝えたいことも、正直読者に届いているのか分かりませんが。

 

あ、ちなみに、「興味のないことでも読者視点で書けるのがプロだよね論」ってありますよね。でも、興味がないことをわざわざ書く必要はないと思います、僕は。

きついし、辛いだけです。中途半端なマインドセットで受注すること自体、イケてないですしね。

ただもし同じような壁にぶつかったときは、他人の文章を添削してみてください。きっと、気づきがあると思います。